日本の半導体全盛時代を思い出してみる

JBPressでの以下の記事を読み、刺激を受けてしまったので
私も当時を知る「おっさん半導体技術者」としてだらだら書いてみます。

日本「半導体」の凋落とともに歩んだ技術者人生


そもそも、日本の半導体産業が衰退してしまった事は事実でありますが、
その成功とされる部分の多くは「DRAM」分野の事になるかと思うのですが
いかがでしょうか?

半導体市場全体における DRAM の占める割合は確かに大きいですが、
それ以外の、MPU/MCUDSPといった市場には
元々日本勢はそれほど食い込めていなかったと記憶しております。

 MCU や一部の MPU に関して、日本国内市場では健闘していましたが
 世界的にみるとやはり厳しかったと思うのですよね。

さて、半導体の製造プロセス技術において、
実際日本が進んでいたのか? という部分が一部で争点になったりしていますが
私は進んでいたのは事実だと思います。
特に最小配線幅での加工技術(いわゆるメタル配線)や
DRAMに必須なキャパシター形成技術といった部分では
一歩抜きに出てたと記憶してます。

 トレンチ型がいいのか? いやいや、これからはスタック型がいい! 
 など各社がかなり盛り上がっていていました。

ただ・・・上記の技術はチップ面積削減につながる技術なので
決して悪い方向ではなかったはずですが・・・
そもそもコスト削減が目的なのにもかかわらず
いつのまにかプロセス加工技術競争だけが
白熱していったような気が今ではしてしまいますね・・・

後、よく言われる「過剰品質」問題ですが、
これは日米半導体協定で半ば強制的に外資系(というかアメリカですが)
半導体メーカの製品購入が日本に義務付けられた時、
納入された製品の品質に少なからず問題があり
その影響というのがあるのかなと・・・・
 
また、プロセス技術だけでなく、回路設計技術でも
日本勢はかなり健闘していた思います。

 当時のVLSIシンポジウムでは、日本メーカの発表が
 かなり多くあったはずです。

当時を振り返ると、やはり半導体ビジネスにおいていかに儲けるか? 
と言った発想は少なかったのかな〜と。
というか、考えなくても DRAM だけで 売り上げ及び利益が
伸びていた状態なのでコスト意識とか利益率と言った事が
重要視されていなかったというのが実情だったと思います。

 DRAM市場から撤退する時も、確たるビジョンも無く
 これからは System on Chip(SoC) の時代と各社横並びで・・・

ちなみに、外資ではとにかく「利益率」が重要視され
まずビジネスを検討するときは「利益率 30%」 が
ひとつの判断ということで、最終的にそれ以下になったとしても
最初にこれが見込めない場合には参入しないという判断がされていたと思います。
(当時私が勤めていた会社の話ではあるのですがね)

で、日本が DRAM競争から脱落していった経緯で抑えておかないといけないのは
以下の2点になるのかなと。

○マイクロン・ショック
○韓国・台湾の猛追

 マイクロン社が半導体を製造するのに必要なマスク数と
 製造工程を大幅に見直し、短期間かつ低コストで
 DRAMを製造出来る事を証明し、市場を席巻し始めました。

 →この時、日本勢各社は品質と信頼性が問題があるだろうから
  負けるわけが無いと過信していました・・・

 また、韓国勢が勢いを増した理由として、
 週末出張アルバイト・エンジニアの問題が良くあがりますが
 これは確かにありました・・・
 ただ、三星エンジニアの技術レベルも極めて高く、
 技術吸収力もすごかったのもまた事実。
 また、コスト意識や日本式ビジネスの研究・分析が
 よく出来ていたというのもありました。

 →これに関しても、日本の経営陣はそう簡単に韓国が作れるわけがないと
  過信というか慢心がありましたね・・・

 
当時の日本の半導体を取り巻く環境としては着実にレベルが上がっていて
プロセス技術だけでなく、設計技術も力を付けていった状態ではあったものの、
DRAMで一気に成功しすぎて、その成功体験と製造プロセス技術至上主義神話が
重なってしまったのが不幸の始まりだったのかなと思います。

半導体製造装置では、まだ日本企業で健闘しているところはありますが、
設計するためのソフトウェアがほとんど外国製になっているのが
やはりこの国を現しているのかな〜

 ツール社、ジーダット社、礎DA社など日本で頑張っている
 ベンダーも確かにありますが、やはり正面から戦うのは厳しいかなと。